緑中央マイナーの観戦記他

2002年10月14日
打ってもらえばいいんだから

 練習試合であるが3年生投手が打たれている。 いつも強気な彼等が打たれちゃったと下を向きながら語る。死四球でランナーをため てヒットを打たれるのは野球ではまずいことだと言われている。投げている投手はボー ルを投げようと思ってはいないのだがストライクが入らない。ストライクを投げよう とするとそれを狙われてしまう。そんな時にどんな言葉が投手の心理に変化を与える のか。

 相手チーム指導者の言葉も含め注意深く聞いたりしているが、私が気に入っているの は「打ってもらえばいいんだから」といううちの指導者のフレーズだ。「まん中投げ ろ」とか「楽に」とかいろいろあるが、「打ってもらえばいいんだから」このフレー ズは含蓄がある。打ってもらうということは、投げる方がお願いして打ってもらう感 じ。打てない球を投げてねじ伏せるのではなく、相手に打撃の機会を与えるというコ ミュニケーションが感じられる。その後の守備も守る機会を感謝するというニュアン スも含まれる。投げて、打ってもらったその後の結果はどちらに出るかは勝負である。 またチームでの勝負の場を作る事、投手一人で野球を終わらせないという野球という スポーツに対する考え方も感じる。であるから逆に死四球の時に「ひとりでやるな」 というフレーズでも声をかけている。これも同じ理由でうれしくなる。

 野球というスポーツは、特にプロに近付けば近付くほど投手と打者の勝負の場面もク ローズアップされる。それでもその魅力はチームとチームの勝負であることにもかわ らない。今日カブレラが本塁打の新記録を逃したが勝負したロッテの投手は逃げてい なかった。いつも思い出すのは松井(巨人)が高校の時、甲子園で明徳の監督に全て の打席に勝負してもらえずに負けた試合である。古い話であるが中日と太洋(当時) の選手が首位打者を争い、片方に首位打者をとらせるために、トップを走っていた選 手を試合に出さず、相手の選手にはすべて敬遠を指示した監督がいた。どちらのチー ムのファンでもなかったが、少年だったその日の私の日記には「むかつく」と書いて あった。プロでもタイトル用消化試合になると監督を始めとして個人のための野球に なっていく。考え方はいろいろあるが、個人がチームよりも強くなった時、その事に よって失うものの大きさにあまりにも無頓着な気がする。

 野球にはいろいろな考え方が入っていて、お父さんの数だけ野球論がある。そんな野 球こだわりお父さんをまとめて勝利しようというのだから指導陣も細かな経験が重要 だと感じている。

 やさしくもあり厳しくもある。自分で考える余地がありながら、現実を受け入れてい くチームの気力が求められる言葉。

「打ってもらえばいいんだから」

 昨日4年生投手が好投して勝利した。彼等も3年生の時にそんな言葉をかけてもらって いたのだろうか。だとしたらとても幸せなことで、結果を出した事は指導陣をとって も幸せな気持ちにさせたと思う。

(飯塚記)