緑中央マイナーの観戦記他

2002年9月30日
見なかった観戦記

 2試合コールド負けをしたと携帯に連絡が入った。仕事で見に行くことができなかっ たのでいろいろな事を想像した。翌週練習は雨のため狭い場所でのトスとランニング 中心であった。大敗に指導者がいきりたって選手にきつい練習を強いているのかなと か、勝手に不安を抱きながら手伝いに向かった。それは全くの杞憂に終わった。

 練習はいつもと変わりなく、淡々と基礎練習をしていた。選手も黙々とそれを当たり 前のようにこなす。技術的なことではほとんど怒鳴られない。集中力や上級生の気を 抜いたプレーには相変わらず容赦ない叱咤が行われていた反面、連続する練習には多 少の笑いも交えて変化をつけていた。なぜかすがすがしい。なぜだろう?

 トスを上げていてその答が見えた気がした。選手の多くが新しいマメを作っていたの だ。指導者はわかっていたんだと思う。やるべき時期のやるべきことと、言うべき時 の言うべきことを。2年間マイナーの指導者としての実績が選手を安心して努力させ る方向へ導いているのだと感じた。

 野球は16人(チーム在籍者)でやるんですよと言ったコーチの言葉を思い出した。練 習に取り組む16人の姿勢がチームを強くする。その中の9人が、チームを代表して戦っ ているだけで、その代表の誇りとプレッシャーを与えているのはその時に代表になっ ていない者だと言い切っていた。そう言えば監督が一番怒っていたのは三振では なく振らなかったことだった。バッターボックスに立って打席を与えてもらえる価値 を認識しないことへの警鐘であろう。声に出さなくても指導者の姿勢で16人は意識を 高めていける。スコアは大敗であったが負けていなかった。試合は結果であり、きっ かけである。きっかけは結果より重いかもしれない。試合は見れなかったが、試合の 前の練習と試合の後の練習をみて、今回の試合は私の中では勝ったことにした。

 しかしながら指導者の落ち着きとはうらはらに、どこの家庭も自分の子供にはほとん ど脅迫まがいの指導になっているようだ(という私もジュニア時代にあまり息子にき ついことを言うので発言禁止令を受けました)。でもその必死さには痛々しい程の愛 情が感じられる。多分男(失礼女でも)が実力で切り開いていかなくてはならない現 実の厳しさ、それを乗り越えるための糧を身につけることの大切さを知っているから であろう。選手が多少畏縮しても、親の必死さの理由を感じられる子供たちの感性を 信じるほうが楽しそうだ。

 そう言えば親父に真剣に怒鳴られたのはいつが最後だっただろう。

(飯塚記)